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何故音楽から離れられないのでしょうか?11 by Kaz Sakamoto

ここからUSAツアー01

いよいよ出発の日が来ました。もちろん未だ成田空港は出来ていませんでしたので、羽田空港です。実は出発の寸前になり、TIAのチャーターフライトがキャンセルされてしまい、急遽パンナムに変更され、その当時パンナムの誇る世界一周便PA008でロスアンジェルス経由でサンフランシスコへ行く事になりました。
サンフランからはユナイテッド航空に乗り換えてシアトルへ向かう予定でした。ちょっと遠回りになってしまうのですが、この時にはそんな事は気にしていませんでした。
 
 
パンナムのチケット
 
パンナムのボーディングパス パンナムの荷物タグ
 
 
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当日の羽田空港には53人の友人と親達が見送りに来て下さいました。この頃は1年に何度羽田へ誰かの見送りに行ったものでしょうか?私と増子にとっては75年以来2度目の海外旅行となり、樫村にとっては初めてで、池田はハワイとかには行っていたようですが、アメリカは初めてでした。久しぶりに自分が見送られる番になった!という感じでした。それほど、この羽田では多くの友人達、親戚達を見送ったものです。その度に羽田東急ホテルで昼食を食べるのがお決まりのコースでした。私が最後に両親と妹と4人揃って食事をしたのも、この羽田東急でした。確か1976年の夏だったと思います。
さて、この当時のこれもお決まりのコースの1つで、別れの窓まで53人の人達が来て下さり、何を話していたものか、出発のギリギリまで穴の開いた2枚のプラスティック越しに会話みたいなものを交わし会った後、アメリカへと旅立ったのでした。
渡米コンサート1部 渡米コンサート2部
 
出発の羽田空港  
ロスアンジェルスが最初のポート・オブ・エントリー(寄港地)となりましたので、イミグレーションとカスタムの審査を受け、大きなエレベーターの扉の様な自動ドアを抜けて、空港ターミナルへ出ました。そして、よく訳の分からない中、サンフランシスコへのPA008のゲートを探して、再度同じフライトに搭乗したのですが、ここで2時間以上の遅れが出てしまいました。この8月14日の夕方にはシアトルに到着している予定だったのですが、サンフランシスコに着いた時点で既に夕暮れ間近の状態となってしまい、もちろんシアトルへの乗り継ぎ便には間に合いませんでした。
さて、それからが大変でして、パンナムのカウンターで、この乗り遅れたのはパンナムの責任である事を説明し、パンナムにその晩のホテル代を支払って貰う交渉をしたのでした。パンナムの方は結構簡単にホテルのバウチャーを発行してくれたのですが、そのホテル”Vagabond Motor Hotel”への行き方が分からなかったのです。何度も何度も聞き返したのですが、パンナムの係員の言っている事が分からないのでした。1人で何度も尋ねるのは問題なので、4人で交代で尋ねたのですが、どうにも理解が出来ませんでした。
4人の意見を集約すると、Anzaと言うシャトルバスに乗ってHyatt Houseへ行けって言っているようだったのですが、そのHyatt House、これは今で言うHyatt Regencyの事だったのですが、これと、我々のクーポンに書かれているVagabond Motor Hotelとの関係が全く掴めなかった訳です。ターミナルを出て、最初に問い合わせた警察官も、今で言うアフリカ系アメリカ人。当時は黒人と呼んでいましたが、いくら制服を着ていても体が大きく、異様な雰囲気を漂わせていました。それでも制服を信じて聞いてみたところ、親切に説明をしてくださいましたが、やはり何を言っているのかがわからずにいました。また、タクシーに聞くと、どうも近過ぎて行けないって言っているようだったのですが、それも、はっきりとは分かりませんでした。そうこうする事1時間以上でした。
そこへ、同じ便で東京から着いたという白人の男性が、”Can I help you?”と声をかけて下さったのです。結局、その人が説明して下さったのには、AnzaのシャトルでHyatt Houseまで行けばVagabondへ歩いて行けるらしかったのですが、荷物の多い我々でしたので、タクシーのドライバーに説明して下さって、やっと空港を出ることがかなったのでした。
今でも覚えていますが、確か4ドルかかるけど良いかってドラバーに聞かれて、それを承諾したのですが、フリウェーを降りる時点で、メーターが4ドルになってしまったのですが、そこで、このドライバーはメーターを止めてくれたのです。そこから近かったのですが、これには感激したものです。
ホテルのロビーに到着した時には既に真っ暗でしたので、夜の8時位だったと思います。東京を出てから20時間以上掛かってしまった訳でした。
そこですんなりチェックイン出来たかと言うと、とんでもない訳で、今度はバウチャーを見て、こんなパンナムのバウチャーなんかは受け付けられないって、フロントの叔父さんが言い出したのでした。

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到着後、途方にくれいているはず
本当は旅行後半のSan Jose空港での
写真ですが・・・・
アメリカツアーの全行程マップ
 
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もう踏んだり蹴ったりって感じでしたし、とにかくクタクタに疲れていましたし、早くどうでも良いから寝かせてくれー!って叫びたかったですね!こうした殆どの交渉は何故か私か池田がやっていましたね、そう言えば。暫くこのフロント兼マネージャーみたいな叔父さんがパンナムと電話でやり合っていましたが、どうも拉致があかないって感じだのです。未だ荷物もロビーの外のカーポートに置いたままで、増子と樫村がそれを見ていたのでしたが、その荷物を取りあえずロビーまで運びました。すると、そのフロントの叔父さんが、「君達、ミュージシャン?」って尋ねてきたので、「そう。キングストン・トリオの音楽をやっているんだよ!」って言いますと、途端に態度が変わっちゃって、自分もキングストン・トリオの音楽が大好きだって事になり、直ぐに部屋の鍵をくれたのでした。又しても狐に摘まれたような気分で、鍵を受け取り、部屋にチェックインしました。その晩は夕食も食べず、直ぐに寝てしまいました。
 
バガボンドのレシート アメリカ最初の朝、バガボンドの前で
 
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翌朝、部屋のカーテンを開けてびっくりしたのですが、直ぐ目の前にサンフランシスコ空港が有るでは無いですか!「どうしてあんなに時間かかっちゃったの!」って、どっと力が抜けてしまいました。空港のターミナルとは滑走路を挟んで反対側にあったのです。そして、無料の朝食がレックルームに用意されて有ると言うような事でしたので、そこへ行って見ますと、そこにはコーヒーのディスペンザーが有り、その隣のトレーにはドーナツが並べて有りました。前の晩には夕食も食べて無かったので、非常にお腹が空いていましたが、本当に只で食べちゃっても良いのかどうかがはっきりしなかった為、我々は遠慮をして2個のドーナツを4人で半分ずつ食べただけでした。何故か前日から全てに怯えてしまっていました。
しかし、さすがにここから空港までは、ちゃんとAnzaのシャトルバスで行く事が出来ました。ところで、このVagabond Motor Hotelは私達にとってのアメリカ大陸第一歩の記念すべき場所となりましたので、その後もここに何度か泊まっています。新婚旅行の帰りにも、ここに泊まりました。
この日のシアトルまでのフライトは問題無く行きました。シータックエアポートでは、サテライトのターミナルからバッゲージクレイムの有るメインターミナルまで、地下鉄に乗るのですが、乗り場のサインとかを読んでいる余裕が無かった為に、ロスアンジェルスと同じ様に、きたエレベーターに乗って、地下鉄の乗り場に行くものと思い込んでいました。これは4人共エレベーターの様なドアが開くと外に出るものばかりと思っていたはずです。ドアが開いたのですが、そこには椅子とかドアの側には手で掴まるバーまで有るのです。それに、何だか横に長いのでした。
それでもエレベーターだとばかり思っていた私達は、縦の動きに備えて身構えていたのですが、それは地下鉄だったのですから、横に動き出し、危うくひっくり返ってしまうところでした。本当に大笑いですね!御上りさんもここまで行けば大したものだと思います。ちゃんとサインを見ればターミナルAとかBとか明記されており、誰が見たって横向きに動く乗り物だってのが分かるようになっているのですから。
そうして、ようやくシアトルの地を踏むことが出来ました。私の最初の印象は、前の晩もそうでしたが、周りが物凄く広い為か、全てがゆっくりと動いているっていう事でした。今でもその当時のイメージが頭に有り、それと同じ様に見ることが出来ないものかと、何度か試してみたのですが、2度とそうしたイメージでアメリカの光景を見ることは出来ません。77年に1人で同じシアトルに着いた時には、この時と同じ様にゆっくりとした光景が目に映りましたけど、そこまででしたね。

キャンパスマップの写真をとる風景 この写真を撮っていました。
 
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約24時間遅れで最初の目的地、ELSの有るシアトルユニバーシティーのドミトリー、キャンピオンタワーに到着しました。増子はバンジョーとギターを持って行きましたので、その1つを池田が持っていたので、4人共スーツケースと楽器を1つずつ提げて、学生の集っているロビーに入って行きました。よっぽど異様な光景だったのだと思います。殆どそのロビーに居た全員がこちらを振り向き、我々4人を穴が開く程に見つめていました。普通の日本人はシャイで、何かのイベントが有ってもステージに上がって演技をしたりするような人間は居ないって信じられていたようで、そこへ、4人して楽器を持参して表れ、最初の晩の歓迎ディナーの席からステージに上がって演奏しちゃったのですから、ちょっと変な日本人4人がやって来たと思われても仕方無かったようでした。

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