★Other Guys in The Trio's Instruments★
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Other Guys in The Trio's Instruments:

まず始めに、ここに書きますことの殆どは、「The Kingston Trio on Record」と「Fret Magazine」の記事を基礎にしておりますが、私がデーブ、ボブ、ニック、そしてジョンとの会話に於いて得たインフォメーションもランダムに混ぜて行きますので、直接引用します文章の夫々の箇所に、クレジットは記しませんこと、御了承下さい。

Dave’s S.S. Stewart Banjo

Other Guys in the Trio’s Instruments(以下の記事)に、「The Kingston Trio On Record」で、”この写真でデーブ・ガードが持っているのがステュワート・バンジョー”と言うのを、ちゃんと確認せずに、そのまま使用してしまいました。その写真でデーブが持っているバンジョーは、ベガのピートシガーです。お詫び申し上げます。
さて、そこで、間違い無くデーブがS.S. Stewart Banjo、 通称ステュワート・バンジョーを持っている写真を2枚、それから、何故かボブ・シェーンが、5弦のステュワート・バンジョーを持っている写真、そして、eBay上に現在出ています、デーブと同サイズと思われるステュワート・バンジョーの写真を、ここに掲載致します。

既に皆様が、御存知の通り、デーブは、ニック・レノルズのお父さんから、このステュワート・バンジョーを貰いまして、1958年後半まで、これを弾いていました。

ここでデーブがもっているのがStewart Banjoです。
   
何故かボブ・シェーンが5弦の
Stewart Banjoを持っています。
現在eBayに出ている同じサイズの
Stewart Banjo
   
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ニック以外の他のトリオのメンバーの楽器について書く訳ですが、まず最初に、特に日本のトリオファンの間で非常に誤解をされている点について、ここで明確にしておきたいと思います。
それは、ベーシストについてですが、日本のファンの間では、あたかもディーン・ライリー(Dean "Mad Dog" Reilly)しかいなかったように思われていますが、それは大きな間違いです。確かに、ライブアルバム中で、名前を紹介されているベーシストは、ライリーだけなですが、トリオの4人目のメンバーとして認められていたのは、デビット・ウィート(David "Buck" Wheat)のみだったのです。それは、ガード・トリオの最後のアルバムとなった「Going Places」のカバーに登場したことでも、彼のポジションの重要性が明確です。
デビットは、ギターの名手でもあり、アレンジの面でも大きくトリオのレコーディングに貢献していますことは、皆様も御存知のことと思います。「Coo-Coo U」 と 「Last Authentic Playboys」は2人のデビットの共作です。それから、ニックが「South Wind」と「O Ken Kalanga」で使用しているBoo Bamsというパーカッションを作ったのもデビット・ウィートなのです。

(ジョンのGibson B-25とニックのBoo Bams)
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1961年11月12日にデーブ・ガードのキャピトルレコードとの契約が切れたと同時に、デビット・ウィートも一緒にトリオを去り、Whiskey Hill Singersのメンバーとしてガードとのパートナーシップを継続した訳ですが、ちょっとベーシストの話から寄り道となってしまいますが、この1961年はトリオによって、又しても、音楽業界に革命が齎された年でもあったのでした。御存知の通り、史上初のステレオライブレコーディングは、キングストン・トリオが、1958年にテキサス州エルパソのリバティーホールに於いて、キャピトルレコードに知らせずに、テキサスのレコードディラーであるリー・モートン(Lee Morton)によって2トラック・テープに録音された物だったのです。それが「Stereo Concert」のアルバム(1959年3月にリリースされた)なのですが、この1961年の1月にデーブ・ガードの最後のアルバムとなった「Make Way」がリリースされた後、デーブは11月12日までに、もう1枚のトリオのアルバムをリリースすることが、キャピトルに対しての義務だったのでしたが、既に、2人のデビットが辞めてしまうことが分っていた為に、トリオとしては、その代役を探すことで精一杯となってしまっていて、とても新しいアルバムの製作まで手が廻らなかったのでした。そこでキャピトルは、既に2年前にリリースされた「Stereo Concert」と、「From the Hungry i」(1959年1月のリリース)を半分ずつ合わせた「The Kingston Trio Encores」を1961年7月にリリースしたことになったのですが、御存知の通り、「From the Hungry i」はモノラルで録音されたものでしたので、ここでも、キャピトルが最新の技術である「デュオフォニック・サウンド・プロセス」を用いて、モノラルの音源を電気的にステレオにした訳です。所謂ここに「擬似ステレオ」が生まれたのでした。

さて、再びベーシストに戻ります。ジョン・ステュワートが加わってからのトリオは、もう音楽的な革命では無くなってしまっており、本物のキングストン・トリオと同じ様になりたいと望むグループの1つとなってしまったと、アメリカの音楽界では理解されています。これは、ジョン自信の意識がそうでしたので、自他共に認めていることです。
しかしながら、ジョンは、ジョンなりに、シンガーソングライターとしての新たな息吹をトリオに吹き込んだので、恐らく、デーブ・ガードとジョン・ステュワート以外は、私も含め、このトリオまでを、本物のキングストン・トリオとして見ることが出来ると思います。
では、このトリオでのベーシストは誰だったのでしょうか?
デビット・ウィートのページ
http://users2.ev1.net/~smyth/linernotes/personel/Wheat.htm
では、ディーン・ライリー(Dean "Mad Dog" Reilly), スタン・ケース(Stan Kaess), ポール・ゲーブリエルソン(Paul Gabrielson), そしてベン・シューバート( Ben Schubert)の4人の凄腕のベーシストだったとされています。
確かに、最近ブーツレッグで出現したジョージアテックのライブレコーディングなどを聴くと、ディーン・ライリーのベースではないのではって思えます。
しかしながら、このトリオでは、ジョンもそうだったように、これらのベーシスト達も、トリオの一員としては認められておらず、単なる雇われのミュージシャンだった訳です。
ジョンもトリオからは給料で雇われていたので、作曲者としての印税以外は、ワーバー、シェーン、ニックの3人の様な利益の分配は無かったのでした。ちょうど、イーグルスのティモシー・シュミットとかドン・フェルダーと同じ様な立場だった訳ですね!

 
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さて、本題であるニック以外の3人の楽器についてのお話に移りましょう。
まず、何と行ってもキングストントリオで、最も重要な存在であるデーブ・ガードの楽器についてですが、彼のバンジョ−に関しましてのインフォメーションは、瀬戸龍介氏に直接聞かれるのが良いかと思いますが、フレット・マガジン上のデーブのインタビューでは、デーブの最初のギターは16歳の時に買ったマホガニーの小さいボディーのマーティンの6弦ギターだったそうですが、そのモデルナンバーは不明です。トリオのレコーディングで使用していたギターは、D-28と00-21(現在アンティリーズの増子氏所有)の2本に加えて、ニューヨークのヴェラスクエズ(Velasquesz)がデーブの為にカスタムメードしたクラッシックギターです。デーブは、マーティンについて「これに代わるものは無い!」と言い切っていますが、それと同時にギブソンも誉めていたようで、ギブソンの12弦ギターと、マスタートーン・バンジョーも使っていました。トリオがエベリーブラザースと共演した時にエベリーが使っていたギブソンのサウンドが気に入った為に、ギブソンに12弦を作らせたのが、ギブソンが始めて作った12弦ギターだったそうです。
この12弦は、エベリーが使っていた6弦モデルのボディーに12弦のネックを付けさせたのだそうですが、酷いネックだった為に、Harmon Satterleeにネックを作り直させたのだそうで、その後は、最高の楽器となったらしく、10時間以上弾き続けてもチューニングが狂わなかったと言われています。
最初のキングストントリオのアルバムでは、デーブはステュワート・バンジョーを弾いていますが、これはニック・レノルズのお父さんから貰ったもので、1958年後半まで、このバンジョーを使っていました。デーブは、この年の終わり頃に、より低いキーで演奏することが出来るようにと、ピートシガーモデルをヴェガの工場から直接購入し、その後のトリオのアルバムでは、殆ど、このピートシガーを使用していたと言っています。
瀬戸氏の意見では、最初の頃のデーブは、バンジョーを弾く時には、サムピックもフィンガーピックも着けていなかったとのことですが、デーブ自身は、最初の頃は、サムピックのみでフィンガーピックは使っていなかったが、後の方では、メタルのフィンガーピックも使い出したと言っています。私自身は、デーブと会って話をした時には、全くバンジョーの話や、トリオの話はしなかったのです。と言うか、とても出来ませんでした。やはり、こちらも同等の立場で意見を述べられるジャンルの事でしか、会話にはなりません。当時デーブがプロデュースしたばかりだった、ギャビー・パヒヌイの事や、MFQのプロジェクトについてとか、デーブの「Up and In」のアルバムのプロモーション、そして、デーブと奥さんのグレッチェンのプロジェクトだった、エクストリアムのHow To ビデオ製作の話が中心でした。オリジナル・トリオのリユニオンのミーティングの時でさえ、昔のトリオに纏わる話にはなりませんでした。
そうですね、そこには、偉大なデーブに対するリスペクトと言うのでしょうか、デーブが、常に未来のことに目を向けているのがはっきりと認識出来ましたので、大昔のことを話すことは、タブーの様に感じられたからだと思います。皆様も、神様の前に座っている自分を想像してみて下さい。質問をしたい事で頭の中は一杯なのですが、そんなことよりも、もっと大事な事をお聞きし、吸収しなくてはいけないっていうような気持ちで、目も、口も、耳も全開の状態で、座っているだけでになってしまいます。

次はボブ・シェーンですが、彼が最初に手にした楽器もマーティンのウクレレでした。
その後で、タヒチアンミュージックのライターのジョージ・アーチャー(George Archer)から売って貰ったシルバートーンの4弦テナーギターへと卒業して行きました。
彼のトレードマークともなって行ったD-28を初めて購入したのは、1956年のことで、ホノルルに在るバーグストロム・ミュージック(Bergstrom Music)で$180.00だったそうです。それ以降のD-28はサンフランシスコのHarmon Satterleeと、やはりサンフランシスコのシッド・ヒラー・オブ・コロンビア・ミュージック(Sid Hiller of Columiba Music)で購入しています。
トリオの最初のアルバムカバーで、ボブは000-28を持って写っていますが、彼は、この楽器を所有したことも、弾いたことも無いそうです。
ボブは、まるでマーティンのD-28のスポークスマンのような人ですので、本物のトリオ時代にはD-28のみを使っていましたが、やはりHarmon Satterlee によって作られたギブソンの様な大きなボディーでワイドなネックに、ルビーの目を付けたコウモリが羽を広げているパールのインレイの入っている12弦ギター(通称バットウィングギター)も持っていましたが、これは、現在サンフランシスコのコレクターの所有となっています。又、1963年に、これもSatterleeによって付けられた2つの大きなピックガードの有るD-28も、現在は義兄の所有物となっているそうです。
それ以外では、やはりD-28同様にボブのトレードマークでもあるテナーバンジョーですが、これに関する詳しい資料は有りません。私の知っている限りでは2タイプのテナーバンジョーを使用していましたが、両方共にヴェガです。その古い方のタイプは、DVD - Wherever We May Goの中のフッテージに写っていますが、ヴェガでも、VEGAって書かれておらず、唐草タイプのインレイがヘッドの部分に入っている物です。これと同じ物を瀬戸氏が所有しています。それから、後の方で使用しているテナーバンジョーにはVEGAとヘッドに書かれていまして、これは、アンティリーズの樫村氏が所有しているものと同タイプのものです。
フレット・マガジンによりますと、ボブは、トリオ全盛期時代には、D-28 には、常にD'Angelicoのブロンズのヘビーゲージを好んで使用していたようです。
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さて、いよいよジョン・ステュワートの楽器についてですが、ジョンに関しましては、トリオのメンバーの中でも、一番私が親しくしているメンバーですので、ここには、私の主観も加えることが出来ます。
ジョンから聞いた話では、初めて、彼がトリオと会ったのは、ロス・アンジェルスのアンバセダーホテル(ボビー・ケネディーが暗殺されたホテルでもあります。)のココナッツ・グローブというクラブの楽屋だったそうで、トリオのショーの後で、楽屋に押し掛けて行ったのだそうです。その時に、初めて実物のピートシガーのロングネックバンジョーを見た時には、子供の頃に憧れていたウィンチェスター・ライフルを見たような感激だったと言っていました。その長いネックを、長身のデーブが手にしていた訳ですから、その姿は、相当大きなモンスターのように写ったことでしょう!
因みに、その時の楽屋にて、ジョンは自作の曲「Green Grasses」、「Molly Dee」、「Come along July」等をデーブに披露したのです。そこで、デーブに、「パブリッシングの方はどうなっているの?」って聞かれたので、「パブリッシングって何?」って答えたら、デーブは「フランク!」って大声でフランク・ワーバーを呼んだのだそうです。そして、それから2,3ヶ月したら、ジョンの手元に$1,200.00のチェックが届いたのでした。それが、初めての印税収入だったそうで、ポモナのカレッジに通っていたのだそうですが、即、それが馬鹿らしく思えて来て辞めてしまい、音楽で生きてゆくことに決めたんだそうです。その頃の$1,200.00って凄かったと思いますよ。恐らく、普通の若いサラリーマンの給料の1年分位に相当したでしょう。
そして、この作曲能力が功を奏して、デーブの後釜として、ボブに可愛がられていたチップ・ダグラスを押さえて、選ばれたことになった訳です。

ジョンも、デーブと同じ様に、マーティンのファンで、00-21、D-28、そしてギブソンの12弦ギター(B-25)を使っていました。バンジョーは、ヴェガのピートシガーでしたが、1962年に、一時的にギブソンのRB-5というロングネックバンジョーを使いましたが、ジョン曰く、「ピートシガーには代えられなかった。」とのことです。
00-21を使っていた理由は、ボブのD-28の大きなサウンドの中で、違うEQを持ったギターでないと、聞こえないからということです。もし、ジョンもD-28を使用したら、ボブのギターと同じEQとなってしまい、自分のフィンガリングは全く聞こえなくなってしまうからだそうです。ジョンは、70年代までずーっとマーティン一本槍だったのですが、70年代後半でオベーションに代え、それ以降、今のテーラーまでは、ずーっとオベーションでした。トリオ時代に、オベーションが最初のモデルをトリオ用に持ってきてくれたそうですが、単純に悪かったそうです。硬くて、とても使えるギターではなかったのですが、オベーションの人達がとても良い人達だった為に、その後もトライし続け、今では、オベーションを手離すことが出来なくなってしまったと言っています。
ジョンは、トリオでの最後の方では、ギルドのメープルボディーの12弦も使い、サンフランシスコ・ルシアーのカスタムメードのクラッシックギターも使用していました。
このクラッシックギターは、その後、ジョンは、ギター・ダルシマーにコンバートしたそうです。

ここで、ボブと、ジョンから夫々に別の機会に聞かされたことですが、トリオの楽器は、何度か楽屋から盗まれてしまったことがあったそうです。サウンドチェックを終えて、本番までの間に、ちょっと楽屋を離れた隙に、全ての楽器がそっくり無くなってしまったそうです。
ですから、ツアーに使用しているギターとバンジョーは、果たして、何処までがここに書かれている楽器なのか、又、レコーディングで使っていた楽器をツアーにも実際に持って行ってたのか、その辺り、全く分りません。
特に、ボブに関しましては、相当多くのD-28を購入しているものと思われます。
そして、ジョンは、トリオに入った時に使用していたピートシガーを、今でも所有していることは間違い有りません。2本目のピートシガーは、私を介して、瀬戸氏の友人に渡っています。

<by Kaz Sakamoto, Dec. 2006 / Fret Magazine (Willam J. Bush) , The Kingston Trio on Record (Blake, Rubeck & Shaw)>
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 Puzzle of Nick Reynolds' Tenor Guitars:
 ニックのテナーギターの歴史的考察!!
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