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>>Antilles with John, California<<


>>Antilles with John, Cody<<



★ジョンのメモリアルサービスに献花を希望された方々★

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横浜 O様 BIT Y様
調布 M様 東京 S様
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Kaz Sakamoto 2008/01/31(Thu) 08:23
午後2時20分頃に、1羽のカモメがテニスコートの上を北西から南東へと結構低い高さに横切りました。
そして、2時30分頃になると、南東へ30メートル程の上空に1000羽以上は有ると思われる、凄い数のカモメの大群が、まるで、魚群が居る海上で起こっているような大きな渦を巻きながら飛んでいるではないですか!
ここは、海から15キロは離れていますので、こんな現象は初めてです。少なくとも、私がここに住んでからの10年間では見たことがありません。
その大きな渦が、ゆっくりと、こちらに近づいて来て、ちょうど私の頭の上に来たところで、その渦が消滅し始めて、長い列を成して南の空へと飛び去って行きました。
その群れから外れた1羽は、さらに北側の方へ回り、一番後ろから群れのしんがりを務めるようにして、飛び去って行きました。

さようなら、John!

この絵は、プリントですが、1991年に、ガード・トリオとスチュワート・トリオのリユニオン・ツアーを企画していた時に、ジョンが描いたものです。もちろん、Dave, Nick, Bob & Johnのサインがされています。



Kaz Sakamoto 2008/01/31(Thu) 03:10
管理人殿
色々な御配慮有難うございます。

今日は、ジョンのメモリアルサービスです。
昨日までのウィンターストームは嘘だったかのように、今朝は、天国に続いているような「カリフォルニアの青い空」になっています。
空を見上げると、一際大きなシーガルが、ゆったりとサークルを描いている姿が浮かんできます。

Happy Trail, John!
Thank you and love you, Angelbravo, Angel Leader and Uncle John.



Kaz Sakamoto 2008/01/31(Thu) 12:27
今、ジョンのサービスとレセプションを終えて、フリーウェーを北上中のヘンリーと話たところですが、ジョンのセレモニーは3時からだったそうです。
ヘンリーに、カモメの話をしましたら、「間違い無く、それはジョンがお別れに来たんだよ!」って言っていました。
サービスでは、ボブ・シェーンとリンジー・バッキンガムが歌ったそうです。それと、今自分達をKTと名乗っている連中も出席していたらしいですが、それ以外は、本当に家族とも近しい人のみの集いだったそうです。
一般の人も参加出来るサービスは、2週間後くらいになりそうとのことでした。今、こちらの時間で、午後7時27分です。

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皆様:

ジョンのメモリアルサービスは、今度の水曜日(30日)にサンディエゴで、家族のみの小さなものになるそうです。
ジョンの4人の子供達が、余りにも多くの人達が、ジョンと親しくしていたと言って、尋ねて来るので、とてもアプセットしているのをバフィーが宥めているようです。子供達は知らなくても、ジョンは多くの人達と知り合いだった訳ですので。
ヘンリー・ディルツも、未だ、このサービスに出席するかどうか決めていないようです。
私は、そういう事情ですので、遠慮することにしました。
バフィーはともかく、子供達には、マッケーブスの楽屋で何度か紹介されただけですので、覚えてないでしょうから。

そして、これとは別に来週末辺りに、何処かの500人位のキャパのシアターを借りて、公のサービスを予定しているとのことでした。未だ、場所や日時は未定です。

以上、アップデートまでですが、この1週間、毎日ジョンの歌を聞き、歌い、その深い意味を考えています。
キングストンの曲もそうですが、本当に、この歳になって、やっと本当の意味が分かり始めたって感じですね。
もっと、もっと、ジョンと音楽の話をしたかったです。
ロザン・キャッシュの書き込みを読むと、私には表現が出来ないのですが、ジョンとメールや、電話で交流をしている時の感じが、とても良く描かれています。
もちろん、私は、ロザン・キャッシュやジョンの様な、アーティストでは無いので、それと同じ内容のコミュニケーションは出来なかった訳ですが、それなりに、別の角度から、同じ様な場面が多々有りました。
ジョンの口から最初に出る言葉には、殆どの人が固まってしまい、そこで終わってしまうのです。それが、ジョンが作っている壁みたいなものなのでしょうが、本当は、その言葉には悪意は一切ないのです。それを、超えて、それに相応する鍵の様な言葉を返せると、初めてジョンの世界に一歩踏み入れることが出来るのだと思います。
そして、一歩踏み入れると、そこでのジョンは、本当に優しく、思いやりのある人です。私などにも、何時も真剣に接してくれていました。
あのサンクスギビングの時が、良い例だと思います。あの時のジョンは、我々に、真剣に、ショーマンシップ、ミュージシャンシップを教えてくれようとしていました。
そこまで、ジョンの心のテリトリーの中に入ることが出来た我々は、本当に幸せだったと思います。 覚えていますか?あのBITでのジョンのパーティーの時に、我々がThe Weightを一発目に演奏して、とてもしょっぱかったのを、演奏の後で、ジョンは、「あー、どうしてThe Weightを最初にやっちゃったの!リズムをフォークからロックに変える練習をしたばかりで、皆コチコチになっていた訳だから、そういう曲を頭にやっちゃ駄目だよ!ステージでは、一度リラックスしてから、難しい曲をやらなくちゃ!」ってな具合で、「おー、良かったよ!」なんて気持ちの入っていないことは言わなかったですよね!
ジョンは、特に、我々の様にフォーク畑で育ったミュージシャンがロックをトライすることに好意を持っています。それは、ジョン自身もロッカーになりたかったからだと思いますが、それにしても、凄く真剣に我々を見ていてくれましたよね!
あの後、サンフランシスコの北の方のジョンの家に遊びに行った時にも、バフィーと3人で、その時のジョンが撮ったビデオを見ながら、同じことを言ってました。

今思いだしてしまいましたが、今、池田殿がアップしてくれたラカーニャのフッテージに有る、I'm going homeですが、ジョンのソロで「I wave my hand to tiny people」って歌っているじゃないですか!ああいう風に、常にジョークが出てくるのですね!それで、聞いている人の反応を試しているって処がありますね。

我々日本人のみでなく、ジョンにとっては、デーブ・ガード以外は、皆、タイニーピープルだったのかも知れませんね。
ヘンリーの写真集の中のコメントで、ジョンがデーブの後釜としてトリオに加わったことの理由として、自分は背が高いし、低い声で、バンジョーが弾けたからって言ってます。
ジョンは、ステージに立つ時に、如何にして自分を大きく見せることが大切だってことも、教えてくれようとしていましたね!

メモリアル・サービスについてのアップデートが、だいぶ脱線してしまいましたが、こんな感じで、ジョンとの出来事が、ぐるぐると頭の中を駆け巡っている、この1週間です。

坂本  2008/01/27(Sun)
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John Stewart 投稿者:Kaz Sakamoto 投稿日:2008/01/23(Wed) 16:05
今日聞きました、バフィーからのお話です。
1月19日は、ジョンの娘エイミーの誕生日だったので、バフィーとエイミーはサンディエゴのベーカリーにバースデーケーキを買いに行ったのだそうです。すると、開いていたドアから大きなシーガル(鴎)がお店の中に飛び込んで来て、2人の頭上を何回か飛び回って飛び去って行ったのだそうです。
そして、その後、サンディエゴの滞在先の家のバルコニーのレーリング(柵)の上に、又しても、大きなシーガルが停まっていて、ずーっとこちらを見つめているので、バフィーが出て行ってもじーっと見つめ続けていて、近づいて行っても全然怖がらず、直ぐ側まで行ったら、そのシーガルは、バフィーの手に触れたのだそうです。そして、青い空に飛び去って行ったのだそうです。
それを見ていた息子のルークが、「That's my dad!」と言ったそうです。
ジョンの曲の中には、鳥に自分の人生を託したことが書かれていますので、そのシーガルは間違い無くジョンだったと思います!

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Bon Voyage, John! 投稿者:Kaz Sakamoto 投稿日:2008/01/20(Sun) 06:20
アメリカ西海岸標準時間1月19日(土曜日)
今朝の大久保さんからのメールで、ジョンが昨日サンディエゴで脳溢血で倒れ、入院したと知らされました。バフィーに直接連絡することは遠慮すべきであると思い、直ぐにヘンリー・ディルツに電話をしました。

ジョンは、この処、LAに滞在しており、ラス・カンケル、ブライアン・ギャラフォーロ、リンジー・バッキンガム、それにヘンリーのハーモニカとバンジョーと言ったメンバーでのレコーディングをしていたのですが、ちょうど、バフィーが治療の為にサンディエゴに来ていたので、ニックが、ジョンとバフィーの為に、サンディエゴに2泊分のホテルを用意してジョンを招いたのだそうです。そして、17日(木曜日)の夜に、そのホテルのレストランにて、ニック・レノルズ夫妻とジョンとバフィーとの4人で食事をし、その後で、近くリリースされるトリオのCDの音源を聴いたりと、終始笑いの絶えない楽しい夜を過ごし、部屋に戻った処で、ジョンが凄い頭痛を訴え、直ぐにベッドに入ったのだそうです。18日の明け方になり、一度ジョンは目を開けたのですが喋ることが出来ないことが分り、バフィーが救急車を呼び、サンディエゴ市内の病院へと運ばれたそうです。
バフィーからヘンリーに連絡が入ったのは、18日の朝になってからだったのだそうですが、その時点で、バフィーは、ジョンが子供の様に安らかに眠っていて、もう天国へ旅立ってしまう準備が出来たと言っていたそうです。

私がヘンリーに電話をし、ジョンの容態を尋ねましたら、「もうそろそろ旅立つ頃じゃないかな?」と言うのが最初の言葉でした。ちょうど、大久保さんから知らされたClack’s Cellerのニュースのページを目の前のスクリーンに開いていたのですが、ヘンリーと話始めた時点では、18日にジョンが倒れた旨が記載されていたのですが、話している中に、19日、今朝ジョンが他界しました・・・・と言うニュースがアップされました。

ジョンは、子供の頃に、父親から異常に厳しく育てられ、良い思い出を持っていない為、常に、彼の周りで起こることの細かな部分まで気になり、凄く神経質だったので、ジョンがリラックスした時に接することが出来た人は非情に稀だったと思われます。それが、近年に次第に進行していたアルツハイマーのお陰で、父親との経緯の記憶が薄れて来た為に、ここ2,3年では、本当に良く笑うようになっていたそうです。
バフィー曰く、そうした幼少の頃の苦い思い出が消え去った状態で、天国に旅立てるのでとてもハッピーなことだ、とのことです。

本当に最後のアルバムとなってしまった、レコーディングのセッション中にも、コードを忘れてしまったり、急に違う事を始めたりで、周りの人を困惑させていたようですが、ラス・カンケルもブライアン・ギャラフォーロも、自ら進んでこのセッションに参加したそうです。そして、或る日、リンジー・バッキンガムも遣って来て、ギターを弾いたのだそうです。ヘンリーも、ハーモニカとバンジョーで参加しており、今度の火曜日(22日)に、ハーモニカのパートをオーバーダブする予定が入っていたのだそうです。
この最後のアルバムの行方は、今の処、はっきりしていないようですが、ジョンのヴォーカル・トラックは全て録り終えているそうですので、後は、楽器とコーラスのオーバーダブが終われば、ミックスダウンが出来るようです。
久しぶりに、一流のミュージシャン達とのセッションになった訳ですので、最後のアルバムに相応しいと言えるのかも知れませんね。又、こう言う状況をフェアウェルに世を去ることが出来たジョンは、本当に神に祝福されていたのですね!

ジョンのメモリアル・サービスは、本人とバフィーの意向で、9か、足して9になる日にしたいとのことですので、恐らく27日になるのではないかとヘンリーは言っていました。

私がジョンと親しくなれたのは、1980年以降になってからでした。
確か83年か84年のクリスマスの直ぐ後に、当時ジョンとバフィーが暮らしていたマリブコーブの家の裏庭のラウンジチェアーに座って、12月なのに暖かく、眼下に広がる海の上には、未だバーンアップしきれていない霧が残っていて、水平線がはっきりとしない空とも海とも言えない彼方を見つめながら、バフィーが作って下さったターキー・サンドイッチと、バフィーの故郷北欧で、クリスマスの時に作るフルーツケーキのような物を食べながら、ジョンと宇宙について話したこと。

ジョンがアンティリーズのアルバムをプロデュースしてくれると言ってくれたこと。

マッケーブスでのショーの後で、これから生まれてくる私の長男の為に、マッケーブスの幼児用T-シャツにメッセージとサインをしてくれたこと。

ガード・トリオとスチュワート・トリオのリユニオン・ツアーの企画ミーティングがウエストウッド・マーキーで開かれ、ジョンとデーブに挟まれてカウチに座った時のこと。

デーブの追悼を終えて帰宅した時に、私のアンサリングマシーンに、バグパイプの奏でるアメイジンググレースが長く録音されていたのを、興奮してジョンに伝えたこと。

サンクスギビング・ディナーの後で、ジョンが真剣にアンティリーズのコーチをしてくれたこと。

アネスト・ウォーレズの話を聞かされ、もう2度とそれまでの気持ちではOmaha Rainbowが唄えなくなってしまったこと。

The Weightはロックだから、もっとロックしなくちゃ駄目だよって言われたこと。

Chilly Windsの3番を自分の書いたバースと入れ換えて唄うことを、「フォークソングは常に変化するものだから、当然のことだよ!」と言って許可してくれたこと。

新宿のサンルート・ホテルのジョンの部屋で、お互いの女性観について駄弁っている中に、2人して眠りに落ちてしまい、BITでのパーティーに遅れてしまったこと。

ラ・カーニャで一緒に演奏した時に目が合った時のジョンの表情が、あのキングストン・トリオのジョンそのものであったこと・・・・・。

音楽は、曲は、誰かが作らなくてはいけないことを教えて下さったのを筆頭に、私の人生は、ジョンによって物凄い影響を受けました。デーブのことを色々と教えて下さったのもジョンでした。
ヘンリーが言っていましたが、本当に多くの人達にとって、今日で、1つのページが閉じられてしまった・・・・・・・・。

バフィーも言ってましたが、ジョンが最後に、大好きなニックと楽しい一時を過ごし、子供の様に安らかに旅立つことが出来たことを、本当に嬉しく思います。

Thank you very much, and I really loved you, uncle John.


Wish I were a ray of light on a westbound plane
I would be your fallin’ star
Until we meet again
Out where them Chilly Winds don’t blow


Bon Voyage, John!

Kaz Sakamoto



トレ管 2008/01/20(Sun) 09:12
残念ですね My condolences. May God be with you John.

マスコ 2008/01/20(Sun) 10:14
朝がたのLAからの電話は、デイブがなくなったときと同じ。いつか来るとはわかってはいても、さびしいです。数年前に来日したときに新宿で坂本から始めて紹介されたときのあのこわいジョンが、そして一日中東京を回って夜アンテリーズの練習を見てくれた穏やかなジョンが頭の中を駆け巡ります。一緒にライブをやらせていただいた思い出、そのときの歌っている間のジョンの目、大切に心の中に大事にしまいながら、心からご冥福をお祈りします。あなたになりたかった。

Kaz Sakamoto 2008/01/20(Sun) 15:10
今晩の月は格別に明るく輝いています。
月面を歩きたがっていたジョンの為に輝いているようで・・・・マスコ殿のコメントを読んだら、涙が止まらなくなってしまいました。
何だか急に寂しくなってしまいました。

Chipからのメッセージです:

I'm sad to hear that. It was his song that gave me my first produced hit record. Thanks for letting me know. Chip


Kaz Sakamoto 2008/01/21(Mon) 04:59
今日は朝から「Lonesome Picker」を聞いています。
私の仕事部屋の本棚の上にKeyenceの世界最小のラジコンのヘリコプターが置いてあるのですが、これはジョンと一緒に99年頃に購入したものなのです。最近ハンズなどでよく見るハミングバードの様なヘリとは違い、本格的なジャイロが2つ搭載されているものです。
このヘリを旨く操縦する為に、随分、ジョンと意見を交わしたものですが、結局、ラジコン・ヘリは、小さければ小さい程飛ばすのが難しいという結論を出して終わってしまいました。
竹ひごを使った補助車的なスキッドを提案してくれたのもジョンでした。
ローターブレードはスチロール製なので、着地にしくじると簡単に破損してしまう為に、私が東京へ行く度に、銀座天賞堂で、スペアーのローターブレードを自分とジョンの為に入手したものでした。

今、このヘリコプターを見つめているのですが、何だか、勝手に飛び立って、何処かへ飛んで行ってしまうように見えます。


marco 2008/01/21(Mon) 22:09
Monkeesファンにとっても、Daydream Believerと言う素晴らしい作品を世に送り出してくれたことを忘れることはないと思います。
ご冥福をお祈りします。

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